アリスの娘たち〜  フレイ/永遠の時とともに(3)

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ピピピピピ……。起床時刻を告げる電子音が部屋に鳴り響く。
教授はベッドから手を伸ばそうとしたが、右手が思うように動かせなかった。
目を開けて横を見ると、小さな子供が自分の手をしっかりと握り、すやすやと眠り
続けている。
(何で子供が……? ああ、そういえば……)
教授は反対側の手を伸ばし、アラームを止めながら昨夜の事を思い出した。
(やれやれ……)
教授は、まだはっきりとしない頭を左手で掻きながら、フレイの寝顔をぼんやりと
見つめた。目じりからかすれた白い筋が伸びている。
教授は彼女が声も出さずに泣いていたことを思い出し、乾いた涙の痕をを指で辿った。
「んん……」
フレイがゆっくりと目を覚ました。教授の顔を見て一瞬驚いたような表情になったが、
すぐに安心したような顔になり、教授ににっこりと笑いかけたかと思うと、今度は顔を
真っ赤にして毛布に隠れるように俯いた。
泣いているか虚ろでいるか、という印象しか持っていなかった教授は、彼女が目の
前でくるくると表情を変えたことに、少し驚いた。
「起こしてしまったかな?君は寝ていたければ寝ていてもいい」
「いいえ。教授が起きられるのでしたら、私も起きます」
しかし、しっかりと教授の手は握ったまま、なかなか離そうとはしなかった。

「こんなものしかないが、何も食べないよりはマシだろう」
二人は教授が部屋に保存していた携行軽食で、朝食を済ませた。
教授が着替えて執務室へ行こうとすると、フレイはどうしても一緒に行きたいと言う。
執務室には他にも人がいるし、何かあったときは、部屋のヴィジホンを使って呼び出
してかまわないから、と言ってもどうしても付いて行きたいといって、きかなかった。
教授はあきらめて、フレイを執務室に連れて行くことにした。好奇心旺盛な部下
達を別の部屋に移し、用件が有る時は必ずヴィジホンで教授に入室の許可を得
てから入るようにと命じた。フレイは部屋の隅でおとなしくして、じっと教授のする
ことを見つめていた。決して邪魔をすることはしなかったが、教授は黙って見つめ
続けられるのが気になって仕方なく、また用件のたびにヴィジホンで呼び出される
煩わしさに、痺れを切らしかけていた。やはり部屋に戻らせようかと真剣に考え始
めた時、ちょうどフレイの姉が部屋を訪ねてきた。

「よかった、迎えに来てくれたのだな」
「え?迎えに来たって、何のことでしょうか?私はこのコの着替えとか身の回りの
ものを、持ってきただけなのですけど」
「ゆうべ伝助医官に、あの子はやはり私の手に負えるものではないので、引き取っ
てくださるように、御願いした筈なのだが?」
「その伝助先生から今朝早く、フレイは当面教授に預けるほうが良いので、あのコ
の身の回りのものを届けるように、と言われたのですけど……」
「待て。先生に確認してみよう」
教授は直ぐに伝助医官のいる診察室へヴィジホンをかけたが、肝心の伝助医官は
手術中のためでられない、と助手から告げられた。
「困ったな。手術が終わるまで待つか……」
「それが私、この後お勤めがあるので、すぐに戻らないといけないのですけど」
「ん?君はその子の世話をするのが、仕事ではないのか?」
「もちろん本来はそうですけど、フレイが教授のところにお世話になることになった
からと、アリスがもうローテーションの中に私を組み込んでしまいましたので……」
「ま、とにかくその子は連れて帰ってもらおう。伝助医官には私から話しておく」
「あの、このコを治してくださるんじゃないんですか?」
「私!ここにいちゃ駄目ですか?」
それまでじっと、教授と姉のやり取りを見ていたフレイが、突然叫ぶように会話
に割り込んできた。フレイは教授をじっと見つめた。言葉には出さないものの、
今にも泣き出しそうな目が"ワタシハココニイタイ"と訴えていた。2人はらしから
ぬ大声と険しい表情に驚いた。刹那訪れた沈黙を破ったのは姉だった。
「フレイは、ここにいたいの?」
姉の問いにフレイは黙って肯いた。
「いや、しかし私には他に仕事もあるし、毎日この部屋についてこられるのも困る。
今日はどうしても一緒にいたいと駄々をこねるから、連れて来たが……」
「このコが駄々をこねたのですか?一緒にいたいって?」
「ああ、そうだ。どうしてもというから仕方なくな。だから今日はこの部屋に部下は
なるべく入れないようにしている。おかげで仕事がはかどらん」
「そうですか。姉の私ですら、そんな風に言われたことは……。このコが聞き分け
ないなんて、きっとよっぽどのことなんです。ここで治療してあげてくださいません
か?いえ、かわいそうなコですから、せめて人並みに笑ったり泣いたりできるように、
なってさえくれれば……」
「いや、しかし……。だいいち、昨夜は泣いていたぞ。今朝だって私の顔を見て
にっこりとだな……」
「泣いた……ですって?このコが?」
「ああ、もっとも大声出して泣くわけではないが……。君は知らなかったのか?」
フレイの姉は、がっくりと肩を落としたかと思うと、すぐに真剣な表情で教授に
向き直り、深々と頭を下げた。
「私はこの子が泣いているのを見たことが、いえ、気がつかなかったのかもしれ
ません。私も教授ならきっとこのコを普通の娘にすることができると思います。
どうかよろしくお願いします」
教授は厄介ごとを抱える気はなかったが、フレイの無言の訴えと、姉の真剣な
に、無碍に拒絶することもできず、とりあえず1週間だけという約束で、フレイを
預かることにした。

その夜の夕食後、教授はフレイにすぐ戻るから先にベッドで寝ているように、
といって自分は執務室に戻った。フレイに盗み聞きをされないようにドアをロック
し、伝助医官にヴィジホンをつないだ。
「おお君か、フレイを預かってくれることにしたそうじゃな。よろしく頼むよ」
「1週間だけですよ。第一、何をすればいいんです?」
「薬物治療をするんじゃなかったのかね?」
「快感を感じないという話だったので、交感神経系を活性化させる薬を使おうと考
えていましたが、あんな子供にそんなもの使えませんよ」
「従順で人身無垢な少女を自分の好みの性奴隷に育てる。男の願望そのものじゃな」
「ふざけないでください!だいいち、12歳とはどういうことですか?娘になるには13歳
を過ぎて、自分の将来を決められる年齢になってからでしょう。そもそもいったいあの
子に何があったんです?」
「ふむ、君にはきちんと説明をしておくべきじゃろう。では順番に説明しようか……」
フレイ(ジュン)は、生後まもなくの各種適正テストを極めて優秀な成績でパスし、
いち早く年上のパートナーと組んでEVA(船外活動)助手として従事していたと
いう。しかし、最初のミッションで事故に遭ってパートナーを失い、自身も大怪我
をしたとのことだった。彼はパートナーを失ったショックで心にも深い傷を負い、
感情を失ってしまったかのようだった。そのため、体の治療を兼ねて性転換槽に
入れ、心の初期化も同時に行ってはどうか、ということになったのだという。

「……知ってのとおり、性転換槽は再生槽と基本的なシステムは似たようなもの
じゃ。肉体の復活と同時に、転換中の深層催眠と、転換直後に起きる激しい情動
の波が、もしかしたらあの子をの感情を取り戻すのではないか?と考えたのじゃよ」
「……それで、失敗したわけですか?」
「厳しいな。じゃが、実際のところ見てのとおりじゃ。若すぎる肉体が予想よりも早く
転換を終えてしまい、予定よりもずいぶんと早くに転換槽から出さざるをえんかった」
「それで、感情を取り戻すどころか、普通なら泣いたり怒ったりして周りを困らせるよう
なこともしない、一見"聞き分けのいい"子になってしまったと?」
「あの子の不幸は単純ではない。希望と意欲で一杯の初ミッションで大切なパートナー
を失い、自分は重傷を負った。その精神的なショックから立ち直れないうちに、得体の
知れない真っ暗な水槽の中に一人で閉じ込められた。そして目が覚めてみたら女の体
になっていたというわけじゃ。しかも、新しいパートナーとして組まされた姉からは、連日
"娘としての教育"を、慣れない体で黙って受け止めていたのじゃ」
「……酷い話だ」
「あの子の姉を責めてはイカンぞ。彼女は何も知らない。今まで話した事情を
知っているのは、ワシと評議長などのごく一部、そして君だけじゃ」
「あの子は? あの子はどこまで自分に起きた事を理解しているのですか?」
「そんなこと、あの子に聞けるか?事故で君はパートナーを失い、大怪我をした
ので、性転換槽で治療する以外に方法が無かった、としか言っておらん」
「……」
「ま、こちらにあの子を置いていても"アリスの娘"として生活せざるをえん。
だから暫くは治療と称して、君のところにでも置いていたほうが、あの子にとって
少しは楽じゃろうと思ったのじゃ」
「そういうことなら仕方がありませんね。もうひとつ聞いていいですか?」
「なんじゃ?」
「その発端となった事故なんですが、原因は何だったのですか?あの子に責任
があることなんですか?」
「あの子の責任?まさか。原因は宇宙塵の衝突じゃよ。相対速度は優に光速の
10%近くあった。船体の防御システムでも弾き飛ばせんかった、ということだそうじゃ」
「そうですか……」
教授は、少なくともあの子に事故の責任が無い、ということを聞いて安心した。
(おおよその事情がわかったからには、あの子に無理に過去の話を聞く必要もあるまい……)

部屋に戻り、教授がドアを開けると、フレイがドアのすぐ内側に立っていた。
「どうした?トイレか?」
「いえ……その……。違います」
「では……。もしかしたら、私を待っていたのかね?」
フレイは顔を赤くしながら、こくんとうなずいた。
「そうか。風邪をひくぞ、そんな格好では」
「はい……。すみません」
「あやまることはない。寝ようか」
「はい。……あの」
「なんだね?」
「私、ここにいても良いんですよね?私が寝ている間に、どこかへ連れて行かれ
ているなんてこと、無いですよね?」
フレイの目は潤んでいたが、訴えるかのように表情は真剣だった。
「そんなにここに、いたいのかね?」
「はい……」
フレイはまだ何か言いたげだったが、教授は薄着のままの格好が気になり、
フレイを抱き上げて寝室へと歩きながら言った
「安心するといい。君は暫くここにいていい。だが、できれば留守番ぐらいは、
早くできるようになって欲しいが……」
フレイは顔を真っ赤にしながらこくんと頷いた。
教授は昨晩のように、部屋の散らばる障害物を避けてベッドにフレイを寝かせ、
自分もフレイの隣に横になった。毛布の中で、伺うようにフレイの指が教授の
手の甲に触れる。教授は苦笑しながら、フレイの手をそっと握ると、フレイも
しっかりと握り返してきた。
消え入るような声で、フレイが言う。
「……ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみ……」
普段は単調な音が繰り返すだけの夜の寝室に、2回目の二重奏が静かに
奏でられていた。

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