アリスの娘たち〜  フレイ/永遠の時とともに(7)

フレイが教授に告白してから、ひと月が経った。2人の性的な関係は、その後
も全く進展していなかった。しかし、心のつながりはより深くなった……とフレイ
は感じていたし、毎日が充実していた。科学技術部での一日も、船体防御装置
の実験の成功以来、次第に複雑な業務をさせられるようになった。しかも最近
では、教授から実験調査の計画書を渡され、教授の代行をも務めさせられたり
するようになった。研究員の中には"若すぎる、しかも『娘』に教授の代行ができ
るわけはない"と反対する者もいたが、教授は"これはあくまで臨時であり、委細
漏らさず状況は把握している。フレイの指示は私の支持だと思え"といってフレイ
を代行の任に据え、自分は何か別の研究に没頭するようになっていた。
フレイは"自分は頼りにされているんだ"と思い、毎日がとても大変にはなったも
のの、アリステアや執務室付きの助手にも助けられ、必死になって教授の信頼
に応えようと努力した。
また教授は、週に一度の休日もフレイの勉強時間に充てる様になった。フレイを
連れて船内の各所を連れて回り、どのブロックで何が行われているのか、各部
の役割はどうなっているのかということを、フレイに教えて歩いた。娘を連れて歩
いては目立つため、フレイには男の格好をさせた。

そしてフレイの実験成果が生かされ、改良中の船体防御区画を見学していた時
のことだった。教授はフレイに尋ねた。
「男に戻りたくはないか?」
「え?」
「男に戻れば、私の助手として、ずっと私の傍にいることができる。が、フレイが娘
である以上、いつか私の元を離れ、娘としての仕事に就かなくてはならない」
「男に戻るなんてことが、できるのですか?」
「君はもともと、自分の意思で娘になったわけではあるまい。不幸な事故が原因だ。
だが君はまだ若い。才能もある。もう一度性転換槽に入り、男に戻れば、
私は君を正式に助手として私の手元に置いておくことができる」
「……考えさせてください」
「うむ、そうだな。しかし、できるだけ早いほうがいい。私はこれから中央ブロックの
伝助医官の所へ行って来る。君を男に戻すには、装置の制御プログラムを大幅に
変更しなくてはならないし、いろいろ薬品類の準備等も必要だろうからな」
「ええ、でも……」
「先に帰っていてくれ。留守番を頼む」
「はい……。行ってらっしゃいませ」


「……というわけです、先生。前例はありませんが、私は十分に可能だと考えて
います」
「ふん、無理じゃな」
「なぜです!何か問題があるとでもいうのですか?」
「わしの口から言ってもワカランじゃろうからな。フレイの姉に聞いてみるといい」
「エリ……いや、彼女に何がわかるというんです。これは純粋に技術的な…」
「技術的な問題は、この際関係ない。心の問題じゃ。フレイは"男に戻りたい"
と君に言ったのかね?」
「いや……。しかし、"考えさせて欲しい"と。あの子にとっても男に戻ったほうが、
今よりもずっと良いはずでしょう?」
「それを決めるのはフレイ本人じゃし、正式にはフレイの姉の同意も必要じゃよ。
君は臨時のパートナーであるからして、何の決定権もない」
「……それなら、彼女を説得すれば良いと言う訳ですね。解りました。
彼女は今どこに?」
「病室におるよ。ここに入院しておる」
「どこか悪いところでも?」
「本人に聞くんじゃな。ワシの口からはな……」
「そんなに悪いのですか?」
「君は何歳になったかね?」
「はぁ?28、いやもうすぐ29歳になりますが、それが何の関係があるんです?」
「彼女、エリは君と同い年じゃろう? 忘れたのかね?」
「だからなんだと……。は、まさか?」
「うむ、もう長くはないじゃろう。花の命は…短いのでな。見舞ってやってくれんか?」
"アリスの娘"たちの寿命は、教授たち性転換を経験しない人間よりもずっと短かった。
性転換時に肉体に過度のストレスがかかるのが一応の原因とされていたが、本当の
ところは解っていない。教授はそのことを忘れていた。


教授が病室に入ると、エリは閉じていた目をゆっくりと開いて教授を見つめた。
「起こしてしまったかな?」
「カズヤさんの声が、ここまで聞こえてきていましたから」
「すまんな、騒がしくて……。顔色が良くないな、先週はあんなに元気だったのに」
「……私の人生の中で、あんなに楽しかった時間はなかったわ」
2人は公園でフレイと3人で過ごした時のことを思い出していた。
突然エリが"公園でランチを一緒にしましょう"と連絡してきたのだった。教授は多忙を
理由に断ろうかと思っていたが、エリの熱心さに押し切られる形になった。
「あの時は正直迷惑だと思ったが、今は行って良かったと思っている」
(我ながら口下手だ……)と教授は思ったが、エリはくすりと笑って言った。

「毎日毎日こき使われている、フレイがかわいそうだと思ってね。たまには羽を
伸ばさせてあげなきゃ。カズヤさんは、のめりこむタイプだから」
「いや、私はフレイの将来を考えて…」
「フレイを、男に戻すの?」
「あ、ああ。そうすれば私の傍にずっといられる。娘のままでは、私とは離れて
暮らさなければならない。仕事だって、あの子には才能がある。できればその
才能を伸ばしてやりたい、と思ったのだ」
「そうね、私には判らないわ。どちらがフレイにとって良いのか。でもそれは、
あの子が決めることだと思うの」
「しかし…いや、フレイだって本当は男に戻りたいと思っている筈だ」
「そうかしら?」
「違う……と言いたそうだな」
「どうかしらね。でもね、ひとつだけお願いがあるの。どちらを選ぶにしろ、フレイ
に決めさせてあげてくれないかしら? あの子の選択を大切にして欲しいの。
決して諭したり、説得したりするようなことはしないで」
「しかし……」
「私の最後のお願いぐらい、聞いてよ」
「…………」
「そんな顔、カズヤさんらしくないわ。そうだ、帰ったらフレイに渡して欲しいもの
があるの」
エリは体を起こして、枕元の引き出しから、中が細かく区分けされたピルケース
を取り出し、教授に渡した。
「性徴剤。フレイの2次性徴を促進させる薬よ。これは28日分。ここから順番に、
毎日一錠ずつ飲ませるの。一日のうち、いつ飲んでもかまわないけど、時間は
決めて飲ませてね。偽薬が入っているけど、それは飲み忘れたりしないように
するためのものだから、気にせずに毎日飲ませて。無くなったら伝助先生に言
えば、次の分を下さるわ。3ヶ月もすれば、誰が見ても魅力的な女性の体にな
るわよ」
「つまりフレイに薬を飲むか、それとも装置に入って男に戻るかを選ばせる、
ということか?」
「そう、2つにひとつ」
「わかった。しかし、これは君が直接……」
「フレイには私のことは言わないで。あの子が、悲しむから」
「しかし、言わなかったとしても、いつかは知る事になる。君に会えなかったことを、
後悔すると思うんだが」
「私がフレイに教えることはもう何もないわ。それに大事なことは、みんなカズヤ
さんが教えてくれたから」
「フレイの選択の結果によっては、私が教えたことなど……」
「あら、どちらを選んだとしても、フレイにとって一番大切なのはあなたが教えた
ことだわ。もっと自信をお持ちになって」
「そうだろうか?」
「フレイが素敵な女性に成長した姿を、見ることができないのは残念だけど、
最後にカズヤさんに会えたから満足よ」
「エリ……」
「疲れたから少し寝るわ。私が眠るまで、手を握っていてくださらない?」
「ああ、いいとも」
教授は横になったエリの手を、両手で軽く握り締めた。思ったよりも冷たいエリの
手に、残された時間の短さを悟った。
「ふうん、あたたかいのね。フレイがいうとおり、とても落ち着くわ。安心して、眠る
ことができる……」
そういうと、エリは目を閉じた。


エリの訃報が届いたのは、教授が執務室に戻って、すぐのことだった。

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