アリスの娘たち〜  フレイ/永遠の時とともに(6)

(やった!これならきっと褒めてくれる!!)
フレイは自分で考えた船体防御装置の改善実験計画を、教授に提案していた。
初めての提案書で不備な点はあったが、"やってみなさい"と許可してくれた。
実験は難しいものだったが、3度目のトライで無事成功した。フレイは一刻も
はやく教授に知らせたくて、執務室まで小走りでやってきた。息を整えてドアを
ノックしようとしたら、中から姉の笑い声が聞こえてきた。
(あれ?お姉さま来ているんだ。何の用事だろう?)
一瞬、また連れ戻しに着たのではないかという、不安が頭をよぎったが、
前回のこともあるし、先に教授からその話があるだろうと考え直し、ドアを開けた。

「!!」
ドアの向こうで、教授が照れくさそうに頬を染め、姉の手をとっていた。
(教授……。お姉さま……)
フレイは、はらはらと涙がこぼれてくるのを抑えられなかった。そしてその場に
いたたまれなくなり、自分の部屋へと駆け出していた。

「……随分なタイミングですわね、教授」
「君のせいだぞ」
「あら、共犯ですわよ」
「……どうすれば良いと思う?」
「ここは私にお任せください」
「かえって、こじれないだろうか?」
「そうですわね……。教授が照れくさそうに私の手を取り、迫っているシーンを
目撃されてしまった事について、教授ご本人が言い訳したならば、ますますこじ
れるのではないでしょうか? さらに付け加えれば、男女間のもつれの解決には、
アリスの娘である私のほうが、経験と技術において、より適任かと思いますが?」
姉はもう教授の説得方法を心得ていた。
「……君に任せよう」

「フレイ、いるの?」
姉は完全に閉まりきっていなかったフレイの部屋のドアをあけて、中に入った。
照明の落とされた薄暗い部屋のベッドの上で、フレイはうつぶせになって泣いて
いた。姉はフレイの傍に腰掛け、肩にそっと手を置いた。

「どうして泣いているの?フレイ」
「だって、教授が……。お姉さまに……。教授はやっぱり、……お姉さまが、
好き……なんでしょう?」
「どうしてそう思うの?」
「だって、お姉さまは昔、教授と……」
「あら、知っていたの?でも教授は覚えていないみたいよ。だって、気が付いてる?
教授は私のことを"君"としか呼ばないわ。あなたはなんて呼ばれている?」
「……フレイって」
「そうね、教授は人の顔とか名前を覚えるのが苦手よね。だから関心のある人しか、
名前で呼んだりはしないわ。昔からそう」
「……お姉さまは、私の知らない教授を知ってるんですね」
「でも、この一年間ずっと、教授のそばにいたあなたの方が、私よりももっとたくさん
のことを知っているわ」
「……そうかしら?」
「フレイは教授があなたよりも、私のほうが好きだと悲しいのね?」
「それは、だって……」
「フレイは教授を愛しているんでしょ?だから教授を独占したいと思っている」
「そんな……。私……」
「いいのよ。それは大切な感情だわ。だから、自分の中に閉じ込めていては駄目よ。
いつまでも悲しい思いをしたくないのであれば、教授にはっきりと"愛している"って
言いなさい」
「でも、教授はお姉さまに……」
「さっきのことを気にしているの? あれはあなたの誤解よ。教授が手に持っていた
紅茶をこぼしたの。それで私がタオルで拭こうとしたら、教授が"自分で拭くから"
って、私からタオルを取ろうとしたのよ。その時にあなたが部屋に入ってきたの」
「……ほんと?」
「ホントよ。ウソだと思うのなら、あとで教授の服の匂いを確かめてみなさい。
私の香水の匂いよりも、紅茶に入っていたブランデーの匂いがするから」
「……でも、……私、子供だし、体だってこんなだし……」
「すぐに女らしい体になるわよ。でもそんなことを気にしているの?」
「だって……、この前、公園で……」
「……公園で?」
「たってた……」
「? 何が?」
「教授の……アソコが……。お姉さまに、抱きつかれてた時……」
「!!!!」
フレイの姉は幼い妹の意外な言葉に面食らっていた。 「……ソ、そうね。でもそれは……、男の人だったら自然な反応なのよ」
「そう、なの……?」
フレイは、男としての生活期間が極端に短かった。そもそも船で生まれた男は
性徴剤を飲んでからでなければ、セックスだって不可能なのだから、そういうこと
に全く気づかなかったとしても不思議ではないのかもしれない、そう姉は思った。
「そうよ、だからフレイだって、ムードたっぷりに教授に迫れば、きっと大丈夫よ」
「でも、前に一緒に寝ていた時だって、私が抱きついても、たってなかったわ」 「あー、そうねぇ……。やっぱりフレイには、まだ早いかもね」
「…………」
「あのね、フレイ。あなたにはちゃんと教えてあげられる時間が無かったけど、
セックスだけが愛を確かめる方法じゃないわ。愛しているって言うのはもっと、
そうね……。思いやりとか、言葉とか仕草とか、そういういろんな要素をたくさん
たくさん積み重ねたものなの。逆に言えば、セックスをしたからといって、その人
を愛しているとは限らないわ。だって、私たちの仕事は何?」
「……よく解らない」
「そうね、まだフレイと教授の間には、それがわかるほどの積み重ねが足りないのよ」
「どうすればいいの?」
「それは自分で考えなさい。あなたと教授の間に積み重ねるものなのだから。
でもひとつ、コツを教えてあげるわ」
「なあに?」
「失敗することを怖がらないこと。失敗してもあきらめないこと」
「実験と同じね」
「そうね、そのとおりよ。それがわかっているのならば、もうフレイは自分の方法を
ひとつ、見つけたことになるわ。でも焦らずに。教授を困らせては駄目よ。ゆっくり
時間をかけて少しずつ積み重ねていけばいいわ」
「わかった。ありがとう、お姉さま」
「いい子ね、フレイは。やっぱり教授に預けてよかった」
そういって姉は妹をしっかりと抱きしめた。

「どうだったね?」
「ええ、ちゃんと解ってくれましたわ。自分の部屋に待たせていますから、行って
あげて下さい」
「そうか。それは良かった。さっきフレイが落として行ったファイルを見たが、実験
の結果も申し分無い。防御可能な最大相対速度は光速の10.012%。見事に目標
を達成している。あの子にはやはり才能があるようだ」
「教授はフレイを、やはり優秀な助手としてしか、見てくださらないのですか?」
「……ん、そ、それは……」
「フレイは教授のことを愛していますわ。でも自分は教授に愛されていないかも
しれない、という不安を抱えています」
「し、しかし……」
「フレイは教授が考えてらっしゃるほど、子供でもありませんし、大人でもありま
せんわ。でも成長を必要としているのは確かです」
「だが、正直どうすればいいのか、私にも解らないんだ」
「教授は大人ですし、今はフレイのパートナーです。あの子をどう受け止めるの
かは、教授がお決めになればよろしいのです。誰もそのことに異を唱えるものは
おりませんわ。ご自分とフレイを信じて、正面から向き合っていただけませんか?」
「う、……うむ。そうだな」
「さ、部屋へ行ってあげてください。あ、そうそう」
姉はテーブルの上に置いてあったブランデーの瓶をとり、教授の白衣の染みに、
しずくを少したらした。
「な、なにを……」
「オマジナイですわ。フレイと教授が仲良くなれる」
「そ、そうか。効くのかね?そんなのが」
「それはもう、効果のほどは十分に」
姉はいたずら娘のように、ウィンクをして見せた。
「君は不思議な人だな……。私の知らないことをいろいろ知っているようだ。
今さらで申し訳ないが、名前を教えてくれないか?」
「まぁ、やっぱりお忘れでしたか、"カズヤ"さん。私の名前は"エリ"ですわ。
今度はチョコレートを持ってうかがいますわね」
「私の名前を知っている? "エリ"? チョコレート……。君は!」
目の前の人物は教授が忘れかけていた、初めて肌を重ねた相手だった。
「思い出した、確かにあの頃の面影が……」
「もう10年も前ですわね。でも今は、過去の私よりも、現在のフレイのことを
考えてあげてください。 さぁ……」
思い出を懐かしむ間もなく、教授はせかされるように執務室を出た。

照明が落とされた部屋のベッドの真ん中に薄着のフレイが座っていた。
ノックもせずにはいる教授を咎めもせずに、両手を教授に向かって差し出した。
教授は無言でベッドに腰掛け、フレイの望むままにしっかりと抱きしめた。フレイ
は教授から微かに香ってくるブランデーの匂いを確かめると、体を離して教授
の目をしっかりと見つめた。
「フレイ、さっきのことなんだが……」
「教授。私、教授を愛しています。教授は私を愛してくださいますか?」
澱みのない口調ではっきりと告白したフレイに、教授も意を決して答えた。
「もちろんだ。愛しているよ、フレイ」
瞳に溢れる涙で、フレイの視界が歪み始める。フレイは教授の両の頬に手を添えた。
「教授、私幸せです」
「ああ、私もだ」
愛の言葉を確かめると、フレイは自分から教授に唇を重ね、二人はゆっくりとベッドに
横になった。フレイは、覆い重なるように下半身を教授にぴったりと重ねて確かめた。
幼いながらも柔らかなその感触に、教授は戸惑う。
「フ、フレイ……」
「すみません、教授。でもこうして、しっかりと抱きしめて欲しかったんです」
「あ、ああ。それならばいい……」
(たぶん教授は、まだ自分のことを子供だと思っているんだろう。だから私に何もしない
のかもしれない。でも姉さまが言うとおり、これからゆっくりと確かめていけばいい。
焦らなくても、いつかはきっと……)


その夜から、二人はまた手をつないで眠るようになった。

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